野田村の歴史に「塩」と「ベコ」は欠かせないのだ

皆様こんにちは。

モ~、暑さを感じ一人夏気分のしもむんです070.gif

と、いうことで!
 
モ~、モ~モ~、そうです、今回の記事は牛さん(ベコ)です。
(無理やりですみません)


5月26日日曜日、村の実行委員会による”塩の道を歩こう会”が開催されました!

村内外から参加者が集まるということで、

歴史も勉強できるし村外の方とおしゃべりできる!と、

意気込んで参加した私です。(やまみんも参加しましたよ♪)


綺麗な山々の景色、八戸からお越しいただいた元気なお母さんとの楽しい一時、

山菜採り名人のお父さんとのプチ勉強会など、

沢山の思い出とともに…


筋肉痛が残りました042.gif

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今回も写真や映像等少しだけ皆さんにおすそわけしたいと思いますが、
その前に、野田塩の道の歴史に、少しだけふれたいと思います。

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野田村の海岸では、古くから製塩が行われていました。
製塩は、”直煮(じきに)出し”という大変な重労働で、苦労して作られた塩は大変な商品でした。
ここで焚かれた塩は、北上山地を超えて雫石や盛岡近在に運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていました。
この地方では、牛の背に乗せて運ぶ塩行商を総称して「野田ベコ」と呼ばれ、
この塩を運んだ道を”野田塩ベコの道”と呼んでいます。

今回のコースは、
久慈市山根町の上戸鎖という場所から出発し、
途中で和佐羅比山の山頂を目指します。(※あくまでも山頂は今回のコースの一部で、実際ベコは通りません)

その後、野田村の間明地区を通り、
山間の日形井地区まで、約12kmのコースです。

間明地区は、その昔鉄山があった場所です。

”木”(燃料)と”鉄”(鉄釜)が豊富にあった野田村は、中々取れない農作物と交換するため、塩作りに精を出しました。038.gif
なぜ、中々農作物が採れなかったのか?
野田村は、春~初夏にかけてヤマセ(海から吹く冷たく湿った偏東風)が出るため、天候的に農作物が育ちにくかったと言われています。


ちなみに、野田村には、鉄山が9か所、あったようです。
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今年で30周年を迎えるバスツアー。

震災直後、実施できないでいたようですが、

「村内外の交流がなくなるのは寂しい」と、再度実施を決めたようです。

企画をした方には本当に感謝ですね!

野田塩ベコの道の歴史、少しでも覚えていただけたら嬉しいです040.gif


それでは
写真と映像で、少しだけ
塩の道を歩こう会の雰囲気をお届けしたいと思います!

ヒア ウィー ベゴー




※端末によっては上手く閲覧できない場合がございますのでその場合はこちらからご覧ください♪


それではこの辺で001.gif


本日もブログをご覧いただきありがとうなのだ!
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by nodakurashi11 | 2013-05-28 10:55 | Comments(0)